立てば書きます
引用元: ・善子「不思議な動画」
環境音って言うのかしら、室内特有のサラサラしたホワイトノイズだけを拾っているの。
音が無いから話の内容自体は分からないんだけど、ホームビデオみたいに楽しそうな話をしてる、そんな風情なの。
でもね、そのロケーションにはちょっと違和感があるの。
って言うのもね、その女性がどこにいるのか、それが分からないほどに、撮影場所が真っ暗なの。
女性の姿は、多分懐中電灯か何かの局所的な光源で判別できてるんだけど、その周囲の風景はほぼ見えない感じで。
「依然としてこちらを見つめたままの状態で、後ろ向きに歩き始めた」の。
その辺りで、画角いっぱいに(少しばかり画面端がはみ出した状態で)テレビ画面を接写していたハンディカメラが、恐らく手レの影響で少しばかり角度がズレたからかしらね。
女性の奇妙な動きを映しているテレビ画面の、画面左上にあった「逆再生」の表示が、その直撮り映像のなかにちらりと映りこんだわ。
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そう、それはね「巻き戻している最中のビデオテープ」の映像を撮影したものだったのよ。
巻き戻されるテレビ映像の中で、さっきまで楽しげに喋っていた女性は、来た道を後ろ歩きでゆっくりと戻っていくの。
それに合わせて、女性を照らしていたいくつかの懐中電灯の明かりは複数のちいさなスポットライトのように、ぶれながらその姿を照らしていったわ。
女性が後ろに歩いて行ってビデオの撮影者はそれをさっきと同じ場所で見つめている。
そのため遠ざかる女性の姿は段々と小さくなっていき、それに合わせてライトの光も段々と広くぼんやりしたものに変わっていくの。
真っ暗だった背景が、少しずつ薄い灰色に変化していく。
それは廃墟だったの。
まず人が住むことはできないであろう、ぼろぼろの三階建てアパートのような廃墟。
黒くシミが広がるように朽ちた外壁や、明らかに経年劣化で割れたであろう窓ガラス。
その周りを囲むように生えている、ぼうぼうの雑草。
閉まった窓ガラスを、暫くの間、幾つかの懐中電灯が照らした後で、そのビデオの撮影者らは、ゆっくりと、その廃墟を遠ざかっていく。
逆再生の映像だから、その廃墟を視界に映したままで、後ろ歩きに進んでいくことになるの。
画面の左上を見るとさっきまで「逆再生」だった表示が「一時停止」に変わっててね。
つまり、そのビデオを接写している誰かが、映像の巻き戻しを一旦止めたんでしょうね。
そして、数秒の沈黙の後で、
ビデオが「再生」された。
「ハァイ?今私達はー、幽霊が出るって廃墟にー、肝試しに来てるのーー」
明るげで笑いまじりの、女性の笑い声が聞こえてくる。
「あと何分ぐらいで着くって言ってたっけー」
「んー、多分もうちょっとだと思うんだけどー」
カメラは映している。
先ほどまでの映像が「逆再生」によるものだとするならば、この一団はこのあと車を降りて雑木林を進み、ほどなくして「幽霊が出るっていう廃墟」に辿り着くことになる。
ひとが住んでいるとは思えない、ぼろぼろのアパート。
真っ暗で電灯も無い、正真正銘の廃墟。
彼女は微笑を浮かべながら草をかき分けて彼女らに近づいて、そして何かを話し始める。
少なくとも数分間。
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深夜に、山の中に肝試しに来て、その廃墟に行く様子を撮影して、そこで「あの人」が出てきたのなら。
このビデオは何故、それを淡々と撮影できたのか。
つい先ほど車内の映像で楽しそうに喋っていた、
ひとりの女性の声と、まるきり同じもので。
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へらへらとしたその声とともに、
ずっとテレビ画面を接写していたハンディカメラが大きくぶれ、その撮影者が自分の顔を映した。
「みんなはこの後、何を教えてもらったでしょーか」
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そう言ってカメラが再びテレビ画面を向いた。
画面の映像はちょうど彼女らが車を降りる所で、
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「おっ、着いた着いた」
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という声が流れ始めていて。
「そこで私は、映像を切りました」
そこで話を結んだ。
「なんでこの映像を先輩が、熱出して肝試しに行けなかった私に送ったのかも。皆が今どこで何をしてるのかも。全部、結局、分からないまま終わってしまいました」
206 9.2
著者 東條希