このように残忍なエピソードが多くある織田信長はやっぱりイメージ通りの怖い人だったのでしょうか?
信長に関する史料として太田牛一の【信長公記】がありますが、ルイス=フロイスが書いた【日本史】は、当時の事を外国人が本国への報告のために忖度なしに書いている事から、非常に有益な一次史料となっています。
そこで織田信長の性格をルイス=フロイスの書き残した【日本史】をもとに紹介して行きましょう。
フロイスは織田信長について【体はヒョロッとやせ形で、髭は少なく、声は甲高い、武芸を好み下品で荒々しく、お酒はほぼ飲まない※】と記しています。
声で一般的な性格が分かるサイトを見ると、甲高い声で話す人は神経質で自己中心的な人が多いそうです。また、興奮しやすく自分の考えが正しいと思う事が多く、他人にも考えを押し付ける傾向が強いとされています。これはあくまでも傾向なので、すべての人が当てはまるわけではありません。
ここまでみると私のイメージ通りの織田信長ですが、フロイスが感じた生の信長像が記されている内容をいくつか箇条書きにしてみました。
睡眠時間は短く、起床は早かった
普段は大人しいが喜怒哀楽が激しい時もある
戦好きで、鍛錬に励んでいた
曲がったことが嫌いで厳格
家臣の意見を聞かず、自分の意見を突き通す
宗教的なことは、否定的であった。
人情味のある行動を示すこともあった。
家臣の出生に関係なく親しく話をする。
有力者に対しても上目線で否定的だった
※ルイス=フロイス『日本史』を参考にまとめました。
感想としては仕事は出来そうですがチョット性格に難がありそうで、一緒に働くには面倒くさい上司に思えます。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/76029d03432846534dcfbef0b260cce3fa72c0
引用元: ・【朗報】 織田信長の性格は怖いだけではなく、優しさや気遣いのできる人だった
天下も取れないで跡取りまでサクっと狩られ
あげく別の部下に乗っ取られたもっとも恥ずかしい人でしたっけ?
京都のは信長嫌いだよなw
いやぁぁ・・・効いたwwww
くされ関西人に間違われるのってこんなに効くのかwwww
反吐がでそうwww
関西の
こんな時まで名古屋飛ばして喧嘩すんな
くっさ
源平合戦自体が結構カオス。
源氏と平氏で綺麗に別れて戦ったのでなく、同族内の確執から源氏に味方する平氏や、平氏に味方する源氏がいたりした。
そんな訳で源氏に味方した平氏は普通に存続していたりする。
母ちゃんしか秀吉にはいないんだよな
父ちゃんの方は頑なになかったことにしてる
工藤とか佐藤とか藤がつく名字はみんな藤原氏の子孫だぞ
日本で一番多い姓である佐藤は、「佐野藤原」の略で栃木県佐野市が発祥だしね
https://satonokai.jp/fujiwara
韓国人の木下と松平がクーデターの後でねつ造した
本当これ
可哀想
西日本だと名字の一部に平って平家の残党が多いって言われてたな。
源:有名なのなら佐竹とか今も知事やっとるやん。他にも清和源氏に限定しないならいくらでもいる
平:現地に土着してそこの地名を名乗ってる末裔がいっぱいいる
北条:戦国の北条なら創価学会の会長やってた
足利:関東公方やってた尊氏の次男の末裔は華族になったはず。将軍家の末裔は華族になれなかったけど今も健在
織田:江戸時代に複数の大名、それがそのまま明治で華族に。スケートは自称旗本になった信長の息子の末裔だけど華族出身の織田家の子孫はよくわからんとしか言ってない
羽柴:秀吉の男系はいない
徳川:家康が量産。その後も数代ごとに量産マシーンが生まれて今もいっぱい残ってる。が、昨今の少子化の流れで断絶しそうな系統はいくつかある
足利って苗字の人は存在するな
急にどうした?w
叔母も処してるなまぁこれも仕方ないけど
サルが一番ひでえかな甥秀次の件だけでなく異父兄弟をしらみ潰しに探しては始末したとか
自分もそう思ってたけど実はヒトラーも信長もA型
秀吉と家康がO型で
伊達政宗がB
上杉謙信がAB
そうなんや
ってかなんでわかったんか気になるとこやけど意外やね
遺髪、遺骨、血判、などから判明しているのは、 豊臣秀吉 O型 上杉謙信 AB型 武田信玄 A型 伊達政宗 B型 真田幸村 A型 北条氏康 O型 徳川秀忠 O型 藤原清衡 AB型 藤原基衡 A型 藤原秀衡 AB型 北条政子 O型 西郷隆盛 B型
信長は本能寺で全部燃えたとされてるからわかんないね
お父ちゃんが尾張国内だけど拠点をコロコロ変えてますな
信長直前の天下人たる三好一族も阿波の片田舎から畿内へと本拠地が移動してるんだがw
そもそも足利将軍家自体が京都から近江、越前、岐阜、河内、備後へと移動しまくり ww
お前も凡人だろ
いや底辺か
秀吉は叩き上げで成金のブラック社長
家康はヘタレ
癇癖で神経質で外聞を気にするところは似てるな
信長は意外と身内には甘いぞ
弟は粛清したけど、あれは仕方ないだろ
謙信は女だった!という説があったな。
当時の大名間の手紙や文献などで、一大事件として多数残っているのにか?
調査の方がポンコツなのでは?
発掘して、燃え跡を炭素測定して
何時燃えたか、結果が出てるのに?
足利義昭が信長包囲網を作る時に
各大名へ書状を送る時に書いてあるぐらい。
発信しているのは足利義昭ぐらいで
包囲網作る為の方便、煽り文句だよ。
最後は自分の次男坊からも恨まれてた
基本的に自己中で、相手の気持ちを推し量ることが出来なかった人物だな
DQNだと、
宇喜田直家と松永久秀が双璧じゃね?
信長はそうとう気を良くしたのか
僅かな側近と下呂温泉へ行ったんだが
その僅かな側近とは前田利家と木下藤吉郎
池田恒興と森長可(蘭丸の兄)のたった4人
当時この僅かな4人こそ
信長が本気で心許せる仲間たちだったのだろう
岐阜の人に愛されていますね( ^ω^ )
信長て超無警戒だからな。
甲州攻めで武田を滅亡させた後、軍勢をなんと現地解散させてしまうw
遠足か!?
そして僅かな供回りだけで、家康のいる三河へ訪問。
信長家臣の中には、家康を警戒して止める者もいた。野心に囚われるかもと。
逆に家康家臣の中には、信長を討って天下人になるチャンスと考える者もいたとか。
しかし肝心の信長と家康は、家臣たちとは裏腹に三河訪問の次は家康を京都、大阪へ御招待。
本能寺の変を起こした明智光秀の部下達は、家康を討つ命令が出た物と勘違いしていたそうだから、信長家康のホモ達関係は余人には理解不能な物だったのだろう。
そのとき京都・本能寺に宿泊していた信長がそう言った。
見るとなんだか傾いているようないないような。
調査を命じられた明智光秀は、その原因がシロアリ被害によることをつきとめた。
「敵は本能寺のアリ」
光秀はそう言うとさっそく駆除に取りかかった。
当時、シロアリ駆除の薬なんて便利なものはないもんだから、被害にあった柱を 片っ端から松明であぶってシロアリを追い出すという地道な作業を行った。
ところがそのうち柱に火がついて燃えだしてしまった。
「やべっ、信長様ぁ~!」 本能寺は信長ごと燃えてしまった。
事情を知らない豊臣秀吉が信長様の仇と明智光秀を討ち、天下を取るきっかけとなったのは言うまでもない。
源 - 僭称してる輩いるだろう
平 - 殲滅されてるようで案外殲滅されてなくているかもしれない
北条 - 謎
足利 - いるのかね?
織田 ー スケート
羽柴 - 苛烈なまでにお家断絶されたからいない
徳川 - いる。いるってだけ
日本史ってほんとテキとーだよな
今川義元「ワシの凄さに気付いてくれたか!」
徳川家康が引越しした浜松や駿河は本拠地じゃないの?
家康が一番嫌い
凡人が有難がる英雄なんで優秀な人は嫌うね
クリス・ペプラー(明智光秀の末裔)
ゆってぃ(藤堂高虎の末裔)
和泉元彌(竹中半兵衛の末裔)
吉川晃司(毛利元就の末裔)
ゆってぃw
ぱーてぃーちゃん・信子(徳川家康の末裔)
伊達ちゃん以外嘘くせー
どうせ自称だろ
全部嘘だぞじゃねーの
関係ない話突然しだすって認知症なの?
なんか怖いんだけど
だってABってでてたんだもーん
ジャパネットの元社長だが昔特集番組で見た時は普段のイメージとは違い
結構厳しい怖い人だったから似てなくもないなw
帰蝶さんが子を産んでれば最強だったってこと?
信じてる奴は
ある意味発見機だよ
誰かあのお手紙うpしろよ
お前全然だめじゃん、7か国の与力集めて5年間かけて結局お前、なんも出来なかったじゃん
秀吉や光秀あんなに手柄建ててるのにここずっと手柄立ててないよな?
できないのはしょうがないよ、でも出来ないなら俺に相談するなりなんなり出来るだろ?それなのに何もしないで包囲してただけじゃん
しかも与力を酷使して自分の直臣なんか全く増えてないだろ?
あ、そうだ、水野信元の領地お前にやったらそこの連中みんな追放したろ?あいつらすげー強くて見込みあったんだぞ
岡山某って水野の組頭なんか妹が遊女にまでなって露頭に迷ってたのを勝三(鬼武蔵)に召し抱えられたらもう兜首3つで俺は感状書いたくらいだ
あ、感状といえばお前、俺からこの17年間で一度も感状貰ってないだろ?真面目にやってたんか?本当に
光秀や秀吉見ろよ、俺は感状何枚書いたかわからんくらい書いてるぞ、お前どうなってるんだよ?
お前は確かにもう隠居考える時期かもしれんけどお前よりも年取ってる権六(柴田勝家)なんかすげー頑張ってるぞ
そういえばお前の跡取りの信栄な、本当に評判悪いぞ、あいつに跡継がすのか?俺の直臣でもある与力に横柄な態度とるとかおかしいだろ
権六なんか跡取りの話もせずに権六頑張ってるぞ。いや、たまには負けるけどな。加賀でそういえば最近も負けたな、権六
でも権六は頑張ってるぞ、勝ち負けじゃないんだよ、勝ち負けじゃ、やる気なんだよやる気、お前はやる気が感じられないし
とにかく今のままじゃ話にならん
信盛よ、こうなったら大手柄立てるか、切腹して詫びるか、改易されてどっかに逃げるか、3つに1つだぞ、よく考えろや
実際堺の豪商の茶日記に本願寺包囲中なのに信盛が登場しまくってるの草
包囲だけして何もせず茶会三昧だったみたいで
そら信長も切れるわw
信玄からの抗議文に対して、信長は自らを第六天魔王と称する返書を出している。
基地外というより深刻な中二病だよね、信長さん………
(´・ω・`)
延暦寺焼き討ち 発掘調査で無かった事が証明されている。
あんなのデタラメの創作なのに
その上京都で軍事パレードを完璧にして公家を震え上がらせたと
言われてるだから敵が多かったのだろうな
そりゃ蹂躙出来る力ある側だから一方的に映るだけで
3人とも器がめちゃくちゃ大きい
割と誰にでもそう
何で裏切るの?希望があるなら言ってよって使者を送って説得したりする
豊臣秀吉 後半認知症にさえならなければ天下人のままだった
徳川家康 逆に人望に恵まれて天下人になれた凡人
こんなところか
信長信者いっぱいおるぞ
細川忠興とか蒲生氏郷とかあれぐらいの世代の武闘派
そもそも光秀に同調したのが誰もおらんかったのが全てでしょ
秀吉が意図的に偽情報を流していたからな。
信長は無事で保護したと手紙を出しまくった。
光秀が信長の首を取れず、秀吉の嘘を完全否定出来なかったのが痛手。
信長亡の真相が確定した時には、光秀は敗れた後だった。
京極さんとか武田さんとか一色さんとか、冷飯食い組が結構同調しただろ
筒井さんは同調しようとして途中で日和ったけどw
大坂の陣の豊臣もそうだけど零落れて一発逆転狙った人しか協力しなかったね
筒井は大和の国衆が光秀につくのを拒絶したから。筒井は信長に大和を預けられただけで独裁者ではなかったから
つーかみんな形は違えど人望はあった
一番の差は家康は最後まで生き残った
この差
まともな人間なんて存在したのかも怪しい
何十年か前にVシネ俳優で
戦国物出してたけどあれが正しい
姿だわな
今で言うとパヨクが作り上げた人物像みたいなもんだろ
そんなの信じれるかw
信長の裁断の基準がよくわからないのが武田家や六角家なんかは潰しちゃう割に
松永や三好は残そうとするんだよな
四国政策なんかは光秀長宗我部路線を潰して秀吉三好路線に変更するし
波多野は潰すし基準がわからんわ三好なんてイメージ悪い一族だが実際は違うんかな
六角だって元々管領代にするから上洛に協力してよって言ってるからね。そこで協力してればよかった
フロイスは嫌いな人間に対してはとことん悪く悪く書いたらしい
今で言うとパヨクみたいな
信長側→様々な宗教と公平に扱っただけ
おこなわれます
信長、秀吉、家康と姫君などの役に扮した人たちが
名古屋の街で見られます
今は名古屋城に行ったらいつも要るんじゃねw
みなさまの受信料で成り立っているNHKがなぜそうせんのか不思議でならんw
どいつもこいつもヤバ杉謙信
武田 上杉
織田 豊臣 徳川
北条
こんなイメージ
松永は善政とも聞くけど
宇喜多はよく分らん
悪政謀略不義兼ね備えたって意味では斎藤道三か
信長像に迫っているのが辻邦生の「安土往還記」
面白くすぐに読了出来る長さだよ!
誰かの感想文コピペ
「孤独な絶対の探求者の肖像」
巻末の改題によればフロイスやロドリゲスら
の文書や『信長公記』などを題材として、そ
れらを作者独自の視点で再構成して書かれて
いる。ここに
描かれているのは合理主義的な精神の持ち主
の共感に満ちた眼差しによって捉えられた合
理主義的精神を徹底する政治家の肖像となる。
すなわちここに描かれた「尾張の大殿」は「自分
の選んだ仕事において完璧さの極限に達しよう
とする意志」の持ち主であり、「力の作用の場に
おいて力によって勝つ」という政治的原則のと
にあらゆる戦略を組織し、異常なまでの好奇心
と探究心をもって「この世における道理」に執着
する。そしてフロイスやオルガンティノら、「信
じるもののために危険をおかし、と隣りあって
生きて」きた者へは友愛と信頼を寄せ、わけても
巡察使ヴァリニャーノに対しては「仕事のなかに
自分のすべてを燃焼させ、自己の極限に生きよう
としている」者同士の「寡黙のなかの友情」を結ぶ。
不断の克己と緊張、そして「理にかなう」方法の徹底を
周囲に対しても過酷なまでに要求することで
諸将との間の距離が広がり、次第に孤独の影を深めていく。
「明徹な理知」によって「事物の理法」を見抜く眼を
もつ一方で人間の弱さに対する愛情をも併せもつ
「明智殿」との対比を通じて「大殿」の孤影を色濃
く描き出していく。
そうして深い信頼と共感を寄せられながら「孤独
な虚空へとのぼりつめる」ことを要求されつづけ
ることに疲弊した「明智殿」の謀叛によって、
この「理法の王国」が音もなく崩れ去ったことへの
衝撃とそれに続く無為の十年が語られて話者の証
言は締めくくられる。言うまでもなく、「尾張
の大殿」によってほぼ完成されようとしていた
「理法の王国」の崩壊とは話者にとっても「大殿」
を通じて実現しようとした理想の挫折を意味する。
この孤独な絶対の探求者によって安土の城下に
出現したつかの間の祝祭空間がこの作品のクラ
イマックスとなる。闇の中に無数の松明によっ
て浮かび上がる壮麗な安土城とやはり松明を掲
げて疾走する黒装束の騎馬武者たちの奔流。
そして彼らと同じいでたちで馬を駆り、ヴァリ
ニャーノに別れの挨拶をする「大殿」。このとき
合理主義的な精神を徹底することによって絶対
の探求者となった「尾張の大殿」の相貌は、作者
・辻邦生がしばしば主人公とした芸術家たちの
相貌に近似する。
「というわけで、私はこの度、凄く面白い小説
を読みました。
何が凄いかと言えば、この小説が、織田信長
をモデルとし彼の「仕事」、それは評価され
るものもされないものも含めて、その「意味」と「動機」を分析していくというテーマ、そ
してそのテーマをしっかりと支えていく丁寧
かつ的確な表現力、つまりは「本格小説」と
しての凄さ、ということでありましょうか。
例えば信長の行動原則を、筆者はこのように書きます。
-----------------
とすれば、大殿が聖域を焼却して僧俗男女を
一人残らず害したことも、北方軍団を壊滅
させその総帥の首を冷然と見つめることも、
ただ一つの原則――すなわち反対勢力を無に
至らしめ、力の対立を完全に解消すること――を、
数学的な明晰さによって押し進めたにすぎない。
大殿にとっては、この原則に純粋に忠実であるこ
とが――歯を食いしばってもこの原則をつらぬき
とおすことが――それだけが、彼の人間的な意味
でもあり、精神の尊厳をまもる所以でもあったのだ。
-----------------
信長をこのような人物と設定して歴史を書き直すわけですね。
ただ、このような行動原則を持つ者が、圧倒的な孤独によって精神を蝕まれないわけにはいきません。作品終盤に宣教師のヴァリニャーニという人物が現れ、信長の内面との類似を語る人物として描かれますが、(略)つまり、終盤に描かれる信長像は、それほどまでに日々孤独の業火に焼かれようとしている姿であり、その絶対的な孤独感は、本能寺でされることが、ひょっとすれば彼にとって救いではなかったかと思ってしまうくらいであります。
ひたすら事の道理のみを求めていた。
自身の納得のいく信条を守るためには、
自身の生命さえ捧げたであろう。
いかなる迷い・ためらい・偏見もなく、
である。
信長は政治の担い手として、常に「事が成る」
ための力を必要としていた。
事を成就せしめぬような知識は
がらくたにすぎなかった。
そのため、事の成就のために自らを切りすて、
ひたすら燃焼して生き抜く人間たちに言いよ
うのない共感を覚えていた。
それは
「キリシタンの僧たちが大海に乗りだすように、
その同じ勇気をもって、仕事に当れ。」
という言葉に表れている。
この小説に描かれた信長は、この時代では異
端であっただろうが、今考えれば、誰もが共
感し得る合理的な人物であり、
混乱の時代を切り開く原動力となった。
作者の、みずみずしく格調高い文章のなかに、
強烈に立ち現れてくる一人の男に共感せざるを
得ない。
高貴な女と見れば元主筋だろうが手当たり次第だった秀吉の方が余程異常
ガチで恐怖政治、キレやすいなら人は絶対付いてこない
ましてや戦国の世
こんな性格のやつ
名古屋→岐阜→安土
とうじ戦国時代でもこんな戦法はめずらしくて、武田信玄でもあくまで遠征という形をとっていた
日本海軍がペンタゴンに攻めているようなもの
いつのまにか信長についてるだよな、不思議だわ
> フロイスは織田信長について【体はヒョロッとやせ形で、髭は少なく、声は甲高い、武芸を好み下品で荒々しく、お酒はほぼ飲まない※】と記しています。
>
> 声で一般的な性格が分かるサイトを見ると、甲高い声で話す人は神経質で自己中心的な人が多いそうです。また、興奮しやすく自分の考えが正しいと思う事が多く、他人にも考えを押し付ける傾向が強いとされています。これはあくまでも傾向なので、すべての人が当てはまるわけではありません。
ジャパネットたかたの元社長とか、ジャワネットたかなのビューティーこくぶさんを思い浮かべればいいってことだな?
どっちも美男美女が多いことで有名だったらしい
歴史の記述から消えてしまう。